ヴァン・アレン・クリントン・マッコイ(Van Allen Clinton McCoy、1940年1月6日 - 1979年7月6日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、作曲家。1975年のヒット曲「ハッスル」で知られる。バーバラ・ルイスの「ベイビー・アイム・ユアーズ」の作者としても知られる。

来歴・人物

ワシントンD.C.生まれ。幼い頃から聖歌隊で歌い、1950年代にドゥーワップのいくつかのグループに参加し、レコードを吹き込む。心理学を学ぶためハワード大学に入学したが2年で中退し、作曲家、A&Rとして活動するようになり、1960年代にグラディス・ナイト&ピップスなどに曲を提供した。また、ブレンダ&タビュレーションズにも楽曲を提供している。

1970年代にもプレジデンツ、フェイス・ホープ&チャリティー、ニュー・センセーションなど、プロデューサーとして活動を続ける一方、ソウル・シティ・シンフォニーを結成した。彼は自身の名義で1975年にインストゥルメンタルのアルバム『ディスコ・ベイビー』を発表した。ここからシングルカットされた「ハッスル」が全米1位、世界でレコード売上総計約1000万枚の大ヒットを記録し、グラミー賞の最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞を受賞。西のバリー・ホワイトに対して、東のヴァン・マッコイとも位置づけられた。彼は、アメリカをはじめ、西側世界を中心としたディスコ・ブームの一翼を担った。

この後もディスコのアルバムをリリースする一方、元テンプテーションズのデヴィッド・ラフィンの「ウォーク・アウェイ・フロム・ラブ」など、ソウル/R&Bのシンガー、グループのプロデュースも手がけた。

日本では、吹奏楽や高校野球の応援曲として演奏される「アフリカン・シンフォニー」(1974年)の作曲者としても知られた。

1979年に心臓発作を起こし、39歳で死去した。

制作作品

  • ウェン・ユア・ヤング・アンド・イン・ラブ - ルビー&ロマンティックス
  • ベイビー・アイム・ユアーズ」 - バーバラ・ルイス
  • ライト・オン・マイ・ティップ・オン・マイ・タング - ブレンダ&タビュレーションズ
  • 5-10-15-20-25-30イヤーズ・オブ・ラブ - プレジデンツ
  • 愛がすべて - スタイリスティックス
  • ラブ・イズ・ジ・アンサー - スタイリスティックス
  • ウォーク・アウェイ・フロム・ラブ - デヴィッド・ラフィン

脚注

関連項目

  • フィラデルフィア・ソウル
  • スタイリスティックス
  • スタッフ (バンド) - ヴァン・マッコイのバック演奏
  • ディスコ (音楽)


外部リンク

  • 公式サイト(英語。音が出るので注意)

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ハッスル. ヴァン・マッコイ YouTube

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ディスコ・サウンドに大きな影響を与えた「ハッスル/ヴァン・マッコイ」|烏袮コウのブログ