月亭 春松(つきてい はるまつ)は、上方噺家。『落語系圖』の編者。本名は植松 秀一郎。生没年不詳。


  • 明治初期頃の生まれ。
  • 1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり春松を名乗る。
  • 1893年11月、京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに1894年以降、東京や京都で歌舞伎・新派の劇団にも所属し、役者として活動する。
  • 1913年、7代目朝寝坊むらく(のちの3代目三遊亭圓馬)門下で朝寝坊小夢。
  • 1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。
  • 師匠の死後は2代目桂文團治(7代目桂文治)の預かり弟子となり再び月亭春松を名乗る。
  • 初め三友派に所属、文當を名乗ってからは京都に出向いたりなどした。
  • そののち浪花落語反対派から花月派(後の吉本興業部)に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。
  • 1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていないので、恐らく、その頃には落語を廃業していたと思われる。
  • 没年は昭和初期。

『落語系圖』について

1929年に出版された『落語系圖』は、戦前の上方落語の資料としては、数少ない体系だった資料である。前半は江戸・上方落語の諸流系図を、後半は鳴物のきっかけ表、出番表、席亭・落語家の肖像などを掲載している。写真資料が豊富なのも特徴である。

3代目桂米朝は、その著書『上方落語ノート』p266 において、次のように述べている。「『落語系図』は貴重な本だが書き方が乱雑で、古い時代のことは今日の辞典のようなつもりで簡単に引用すると、とんでもない間違いを仕出かすことがある。誤りも少なくない。前後矛盾もあるし、要注意の資料であるが、しかし上方落語史において大事なものであることは間違いない。」

『落語系圖』は、名著刊行会から1965年、1979年の二度、復刻されている。

出典

  • 『落語系圖』 NDLJP:1194413/126 - p226に月亭春松の肖像および経歴あり。
  • 富士正晴『桂春団治』
  • 3代目桂米朝『上方落語ノート』青蛙房、1978年

外部リンク

  • 落語系図 - 落語系圖に掲載されている肖像が一部見られる。

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