笹島 穣(ささじま みのる、1920年 - 2008年4月11日)は、陸上自衛隊の隊員で、日本に初めてスポーツ・スカイダビングを導入した人物である。1969年に日本落下傘スポーツ連盟を設立し、その理事長も務めた。

来歴

スカイダイビング

日本への導入経緯

1959年から1960年にかけて、アメリカ陸軍の砲兵学校へ留学した。そのときに、スカイスポーツとしてのスカイダイビングを初めて見学する。日本に帰国後、空挺教育の研究課に配属。アメリカ空軍の立川基地にスカイダイビング・クラブが存在することを知り、そこで自衛隊員の有志と一緒にレクチャーをうけた。アメリカ軍のスカイダイビング・クラブ側もこれを受け入れ、中古のパラシュートを提供するなどした。

当初はなかなか理解が得られなかったが、徐々にスカイダインビングの知名度もあがった。1961年、インペリアル・スポーツ・パラシュートクラブを立ち上げ、会長に就任。1962年アメリカで開催された第6回世界選手権に個人代表選手として初参加した。

1969年に日本落下傘スポーツ連盟を設立。1970年、ユーゴスラビアで開かれた第10回世界選手権大会に、団体チームとして初めて出場し、チーム団長を務めた。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 浅見俊雄、宮下充正、渡辺融 編『現代体育スポーツ大系』 28巻、講談社、1984年。ISBN 4-06-187328-8。 
  • 笹島穣 (1972-08). “パラシュートにたくす夢”. 航空情報 (酣燈社) 304: 111. ISSN 04506669. 
  • 笹島穣 (1976-09). “スカイダイビング”. 航空情報 臨時増刊 スカイスポーツ (酣燈社) 364: 111. ISSN 04506669. 

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