五つの赤い風船(いつつのあかいふうせん)は、日本のフォークグループ。

概要

1965年に中川イサトが中心となり結成されたPPMスタイル(PPMやキングストン・トリオらのコピーをしていた)の「ザ・ウィンストンズ」が母体。そのグループのマリー役であった藤原秀子が、当時画家だった西岡たかしと知り合い、メンバー全員が西岡の家に出入りするようになる。そして、1966年に西岡を中心として、「ザ・ウィンストンズ」から「五つの赤い風船」に生まれ変わる。

1967年には「第一回ヤマハ・ライト・ミュージック関西大会」に「血まみれの鳩」で出場し、関西大会フォーク部門3位を取っている。ここで知り合った泰政明(後の髙石事務所社長)のはからいで、1968年3月「アンダー・グラウンド音楽会」に出演。彼らにとって初のビッグステージとなったこのコンサートで聴衆を魅了し、その存在を広く知らしめた。この直後、有山じゅんじは抜け、フォーク・キャンパスにいた長野たかしが加入。

この年5月「恋は風に乗って」でシングルデビューし、翌年URCとしては会員制時代の非市販での第一号LPを、1969年2月に高田渡との片面ずつ構成「高田渡/五つの赤い風船」で発表。

1969年8月には早くも2枚目のアルバム「おとぎばなし」が発売される。そのツアーの最中に、「サウンドを作り込んでツアーに臨んでいるのに、イサトが新しく買ったギターを使ってぶち壊しにしてしまった」と中川がガットギターから鉄弦ギターへ変更した(中川本人はずっと鉄弦でやりたかった)ことに西岡が激怒して、そのまま脱退。しかしその人気は益々上昇、新メンバー東祥高も加入し、岡林信康と並ぶ、当時最も支持者の多いアーティストのひとつとなる。

結局、3年間の活動期間に6枚ものアルバムを出し、1972年8月31日、岡林信康ら(脱退した中川イサトも参加している)をゲストに迎えた「ゲームは終わり」で幕を閉じた。

1979年二度のライブのためだけに再結成。

2000年再結成。

1960年代後半から70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を発表し初期フォーク・ブームを牽引、若者から絶大な人気を得た。特に西岡と藤原の混声ハーモニーは高い評価を得た。

なお、1975年に結成し、1976年に解散した「五つの赤い風船'75」は事実上別グループである。

メンバー

  • 西岡たかし(結成時より。リーダー)
  • 藤原秀子(結成時より)
  • 有山じゅんじ(結成時より。すぐに脱退)
  • 中川イサト(結成時より。1969年脱退)
  • 喜田年亮(1968年脱退)
  • 長野たかし(1968年加入)
  • 東祥高(1969年加入)

五つの赤い風船'75

  • 西岡たかし
  • 中川イサト
  • ながいよう(元ザ・ディランII)
  • 金森幸介

2000年再結成時

  • 西岡たかし(ボーカル・ギター)
  • 中川イサト(リードギター)
  • 竹田裕美子(キーボード)
  • 青木まり子(ボーカル・ギター)

ディスコグラフィ

シングル

アルバム

オリジナル・アルバム

ライブアルバム

ベストアルバム

企画物

映像ソフト

関連項目

  • なぎら健壱 - 著作に『五つの赤い風船とフォークの時代』(アイノア出版/2012年7月25日発売)がある。
  • 加藤和彦
  • 木田高介
  • 全日本フォークジャンボリー
  • 長野たかし

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • 五つの赤い風船 - ビクター・エンターテイメント
  • 五つの赤い風船 - 記憶の記録 LIBRARY
  • 五つの赤い風船 _WOODYBLUES_ アコースティックギター Support Shop

五つの赤い風船 全曲集 SJX25009 レコード買取

五つの赤い風船 Spotify

五つの赤い風船 お~むのブログ

駿河屋 五つの赤い風船 / 五つの赤い風船/ソロ・アルバム(邦楽)

五つの赤い風船 アーティスト 大人のための音楽/エンタメ総合ウェブサイト otonano PORTAL