内藤 信旭(ないとう のぶあきら)は、江戸時代中期の大名。越後国村上藩4代藩主。官位は従五位下豊前守。

経歴

寛保4年(1744年)2月13日、3代藩主・内藤信興の長男として江戸にて誕生。宝暦8年(1758年)12月1日、15歳で徳川家重に御目見し、12月18日に従五位下・豊前守となる。同11年(1761年)5月25日、父・信興の隠居によって家督を継ぎ、8月11日、村上に入部する。

翌12年(1762年)5月28日、参勤交代の途中、会津坂下で病死(6月17日、村上において死去とも)。享年19。嗣子がなかったため、異母弟・信凭がその跡を継いだ。

葬地は新潟県村上市の光徳寺(以上「寛政重修諸家譜」新訂13巻202および203頁の記述に拠る)。現在の墓所も同じである。

系譜

父母

  • 内藤信興(父)
  • 奥平昌成の娘(母)

婚約者

  • 毛利重就(匡敬)の娘

養子

  • 内藤信凭 - 実弟

特記事項

  • 忌日を6月17日とするのは「寛政譜」の他「藩翰譜続編」(『新編 藩翰譜』2巻129頁)および「越後村上 内藤家譜」である。『村上郷土史』は5月28日と記す(116および80頁系図)。
  • 同じく『村上市史 通史編2』は5月28日死亡説をとり、(1)参勤交代の途上に会津坂下宿で病死した (2)相続願の受理まで家臣が死を隠した (3)これを「たぐい稀なる知謀の侍也」と「諸人舌を巻いて咄し」と記す「坂下宿の記録」があった、としている(362から363頁)。
  • 『村上郷土史』は法名を「英誉俊厳了義」と記している(80頁)。

脚注

出典

  • 『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年
  • 『新編 藩翰譜』2巻 新人物往来社、1977年
  • 東京大学史料編纂所所蔵「越後村上 内藤家譜」(請求番号:4175-665)※東京大学史料編纂所データベースから検索・閲覧可能。
  • 『村上郷土史』村上本町教育会、1931年
  • 『村上市史 通史編2』村上市、1999年

内藤 誠インタビュー 運用メンバーインタビュー ひふみ

コンサルタント紹介 株式会社アップルハウス 投資用不動産の売買・賃貸(東京都渋谷区)、投資用マンションのセミナーを開催

信川 清順 キャスティング業務用データベース「タレメcasting NEXT」

化学工学電子版

G1CLIMAX開幕戦で内藤哲也を襲ったであろうアクシデントの要因 トペスイシーダプロレスニュース&ブログ~新日本プロレスの国内外最新